イデオロギー対立を招く子どもの権利条例~代表発行人の千思万考
- むさしのニュース代表発行人
- 2022年8月29日
- 読了時間: 3分
武蔵野市で「子どもの権利に関する条例」の制定に向けた動きが進んでいます。条例の検討委員会は8月30日に報告書をまとめる見通しです。先日、千葉大学の鈴木庸夫先生の書かれた論説「子ども権利条例について(条約と条例及び哲学と制度の関係についての一考)」を読む機会がありました。これは大変広い観点から諸々の問題について記述されたものであり、問題の難しさ、多さに驚きました。
論説の中に、我らが武蔵野市の子どもの権利条例に関する条例検討委員会の会長である喜多明人先生の見解について記述しているところがありました。そこではいくつかの驚くような記述がありました。
1点目は子どもの権利を巡り喜多氏は日本国憲法を始め国内法についても法改正が必要か否か『十分検討すべきである』としています。しかしながら武蔵野市の検討委員会では条例と法律の関係に触れた論議はなされていないようであります。
2点目は市民のイデオロギー対立についてです。喜多氏は 『人権派サイドからは、従来の我が国教育体制や子供感がパターナリズム以外の何者でもなく、「保守」層は子供を「教育」的に保護することこそ、子供の人権を保証することである』と述べています。補足しますと、パターナリズムとは、強い立場にある者が弱い立場の者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から行動に介入や干渉することを指し、家父長主義、父権主義などと訳されます。喜多氏は『こうして両者(左派・右派)は抜き難く対立することになる。こうした価値観の対立にはそれぞれの背景や基盤があり、ある種の神々の論争であるのでここではこれ以上立ち入らないまた条例の立案過程に有用だとは思われない』と結論付けます。要するに親子間の問題は放置しろということのようです。
条例の法的位置付けが不明確であること、イデオロギー対立の放置は我々市民にとっては大変大きな問題ではないでしょうか。
条例といえども法律の延長上にあるものと思いますが、条例に反した場合などの対処について全く触れていません。もし子供が条例違反と騒いで世間に表面化した時など、現状では判断をする裁判所もありません。この様な場合、根底にイデオロギー対立があるわけですから市民間の私的制裁が起きる事は容易に想像出来ます。最近住民投票条例を巡るツイートを発端に起きた金井米穀店に対する左派グループの攻撃と同じような事が起きるのは明白です。
このような大きな問題を抱えたまま期日を来年4月と設定し、説明会、学習会を熱心に進め闇雲に条例を作ろうとする姿には危なっかしさを感じずにはいられません。有識者によるワンマン体制で物事を決めるのでなく、無差別抽出により選ばれた市民を交えた熟議の場を経て決めるべきです。
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